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2010年2月12日 (金)

大阪の佃の由緒由来、ちょっとづつ分かってきました、佃(千船)の「太一」。

【NEWな記事】

2009年12月16日(水)

大阪市西淀川区 佃 「太一」

佃の「太一」、3週間振りくらいで2回目の訪問です、

この日は寒いですね、マフラーに顔をうずめて駅から「太一」へ急ぎます。

外から覗くと、お、先客が4人ほどおられますね、
お、これは入りやすいわ、とガラス戸を引こうとすると、、、開きません!!
違う戸を引いても、、、開きません!!

なぜ??と、ちょっとあせって引いていると中から女性のお客さんが開けてくれました、
なぜかはよく分かりませんが、こちら側のガラス戸のすべての鍵がかかっていたようです

でも、貸切とかそういうことでもないよう、
「いいですかあ」などと言いながら、
常連さんらしい先客とは離れてL字カウンターの底辺に座ります、

お母さんがお手拭を持ってきてくれました、
お母さん、なんとなく初顔かどうか自信の無い感じでしたので、

「この前も来ました、東京の佃に住んでたので大阪の佃にも来たのです」

「あーー、はいはい、いらっしゃいませ」

ということでなんとか思い出していただきました、
できれば今日も佃の話をいろいろ聞きたいと思っています。

寒い日ですが、まずは生ビールを注文、
肴はカウンターの冷蔵ケースの中を物色して「ポテサラ」をお願いしました。

091216

マヨネーズが掛かって出てきました、
酸味が強いですが具が多くて食べ応えがありそうですね。

先客の4人組はピンの男性客がお二人と女性客2人組の組み合わせのようですが、
皆さん常連さんのようで、ワイワイと盛り上がっておられます。

と、なにかミカンの話になったかと思うと、
男性客のお一人が私の席の後ろにあったミカンの紙箱からミカンを取り出して、
紙袋に入れて、もう一人の男性客に差し上げられています。

そして、私に向かってニコッと笑うと、

「これねえ、和泉のミカン、ワックスしてないから汚いけど美味しいから持って帰って」

いきなりプレゼントをいただきました、ここもやっぱり下町です

ありがとうございます、遠慮なく頂きました。

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ちょっと寒くなってきたので、熱燗と「湯豆腐」を頼みます。

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思ったよりしっかりした出汁です。

熱燗の徳利も大きいですね

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阪神タイガースのファンのお店であるようです、こんな虎が

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後でお母さんに聞いたらやはり昔はお店の客さん皆で甲子園球場に通ってたそうです、
1985年の優勝の想い出などをお聞きしました。

そろそろ、ミカンをくれたお客さんが一人で先に退店、
皆さんのお勘定もいっしょに振舞って粋に出て行かれました、
やはり、ここは下町です。

常連さんの話も一段落して、私だけが離れて座ってるのもなんだか居心地悪いなあ、
と思っていたら女性のお客さんから誘っていただき、
常連さんの横に移動することになりました、
はは、これが下町、遠慮なく仲間に入れていただきます。

東京の佃の話をしたら、女性客のお一人が、

「私は佃小学校ですよ、東京の佃小学校と毎年交流会をやってましたよ」

との事、やはり地元同士では今でも交流がちゃんとあるようですね

「東京の住吉神社も大阪の住吉さんですよね」

「ここは田蓑神社、これが有名、5の付く日は夜店も出ます」

へえ、ちょっと調べてみると、住吉神社の子神との事、やはり由緒正しい神社のようですね。

「ここら辺りに住吉さん、貴船さん、大物(おおもの)さんなどが上陸してるんよ」

男性の常連さんが詳しいようで、いろいろと話していただきます、

??ちょっと何のことか分かりませんでしたが、
どうやら古代、大陸や半島から帰国した皇族=神様のことのようで、
それぞれが住吉神社や京都の貴船神社に繋がっているそうです。

大物さんは大物(だいもつ)という地名に残っていますね。

そういうと東京の佃の住吉神社と、大阪の住吉神社が繋がっているのは知っていますが、
現在の住吉神社は大阪南部、
この西淀川区の佃とは距離があるのが、ちょっと疑問だったのです。

「最初はこのあたりに来たのよ、最終的に今の住吉さん(大阪市住吉区)に落ち着いたけどね、京都の貴船神社なんかもそうよ」

「(佃の)向かいの大和田には、いまでも住吉神社が3つくらいありますよ」

そうなんだ、住吉もやっぱりこの辺りが発祥というか、因縁があるのですね、
なるほどなあ、これで腑に落ちました、いろいろと勉強になります

最後にお母さんのお勧めで「あん肝」をお願いします。

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「昔はこの辺も荒っぽい人間が多くて怖かったんよ、ヤクザも多かったしね」

「この店は親父さんがしっかりしていたから大丈夫だったけどね」

昔から、工場が多く、賑わっていた下町ですから、
そういう人たちもたくさん集まってきていたのでしょうね。

カウンターの向こうの壁には親父さんらしい写真が掛かっています、

「親父さんですか?」

「そう、今年が七回忌」

今はお母さん一人で切り回されています、
常連さんとお母さんからいろんな話が聞けました、

名刺交換もして、先に失礼します、〆て2600円。

大阪の下町、ここに健在、楽しく飲ませていただきました、また来ますね

そして、佃辺りの由緒由来をまた教えてください

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